今日は、パソコンの中の整理をしていました。
少し時間ができたので、「ずっと気になっていたけれど見て見ぬふりをしていた場所」に、ようやく手をつけたのです。
開いてみると、出てくる出てくる。
何ヶ月も、いや1年以上開いていないファイルやメモ、テキストデータ。
途中まで書いて放置された文章や、保存されたままの資料。
「ああ、これはいらないな」
「これも、もう必要ないかも」
そう思いながら、少しずつ削除していきました。
そんな中で、ひとつのテキストファイルが目に止まりました。
タイトルは
「2024年ものこりわずか…」
最終更新日は、2024年10月。
なんとなく気になって開いてみると、そこにはこんなことが書かれていました。
「2025年を良いスタートで迎えるために、
今のうちにモノや情報を整理しよう。」
「アカウント、アプリ、メール、使っていないサービスを整理する。」
「1日○件、削除する。」
つまり、今の私がやろうとしていることと、
ほとんど同じことが書かれていたのです。
そして文章は――
途中で止まっていました。
そこから先は、何も書かれていません。
つまり私は、
2024年の時点でも「整理しよう」と思っていて、
でも途中で止まってしまっていた。
それを見た瞬間、正直な気持ちはこうでした。
「……また同じことをやっている。」
少し、ガッカリしました。
私は昔から、情報をため込みやすいタイプです。
役に立ちそうな記事を保存したり、
使うかもしれない資料を取っておいたり、
アプリやサービスも「いつか使うかも」と残してしまう。
その結果、頭の中が情報でいっぱいになってしまって、
何が大事なのか分からなくなったり、
本当にやるべきことに集中できなくなることがあります。
だからこそ私は、
「情報をためない人になりたい」と思って、
モノやデータを手放す習慣をつけようとしてきました。
でも、こうして過去のメモを見ると
まだ完全にはできていない自分がいる。
「変われていないのかな」
そんな気持ちも、少しだけよぎりました。
でも、そのあとで
あることに気づいたんです。
もし私が本当に変わっていなかったら、
そもそも今日、パソコンの整理なんてしていないはずです。
過去の自分のメモを見つけて、
「また同じことをやっている」と気づくこともなかったはずです。
つまり私は、
・自分の癖に気づいている
・過去のパターンを見つけている
・そして今、また整えようとしている
これって実は、
前に進んでいる証拠なのかもしれない。
そう思ったら、少し気持ちが変わりました。
ガッカリすることって、
つい「ダメなこと」のように感じてしまいますよね。
でも、よく考えてみると
ガッカリするということは、
「本当はこうありたい」
という理想があるからこそ生まれる感情です。
もし何も感じなかったら、
そもそも変わろうとも思わないはずです。
だから、ガッカリすることは
必ずしも悪いことではありません。
むしろそれは、
「私はまだあきらめていない」
というサインなのかもしれません。
今回の出来事で、私はこんなふうに思いました。
人の癖って、
一度決意しただけで簡単に変わるものではない。
ときどき元に戻るし、
途中で止まることもある。
でも、また思い出して
もう一度整えようとする。
その繰り返しの中で、
少しずつ変わっていくのかもしれません。
去年の私は、途中で止まってしまいました。
でも今の私は、
そのことに気づいて、
また整理を始めています。
それだけでも、
きっと小さな前進です。
だから今日は、
ガッカリした自分にも、こう声をかけてみようと思います。
「また整えようとしている私、えらい。」
完璧じゃなくてもいい。
途中で止まることがあってもいい。
大事なのは、
また戻ってくること。
もし今、
「また同じことを繰り返してしまった」
と落ち込んでいる人がいたら、
そのガッカリは
きっとあなたの中の希望です。
それは、
「もっとよくなりたい」
「変わりたい」
そんな気持ちがまだ生きている証拠。
だから大丈夫。
ガッカリした日こそ、
人生を少し整え直すチャンスなのかもしれません。

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